町内マップ

トップページへ戻る

町内条による区分概略図

町内会区分概略図

厚別東町内会連合会総世帯数 平成15年5月1日現在
小野幌連合会 1,500
小野幌ニュータウン 615
もみじ台通り 210
厚別ひまわり 1,005
厚別東高台 408
厚別東イトーピア 229
厚別東王子 146
総 世 帯 数 4,113
厚別東地区の歴史から
厚別東地区の開拓

明治22年
山口県出身の秋本槌五郎が JR森林公園駅付近に入植がはじまりという 

明治24年
徳島県、富山県から入植

明治32年
小野幌小学校の前身の小野幌簡易教育所が開設

一面樹林に覆われ空も見えない状態だった
家や畑を作るため木を切り倒したが その木を収入源として
炭焼きを行っていた。

開墾当初は そば 、粟 稗 などを栽培していた

明治25年
秋本が1200坪の水田試作を始めた
そして次第に水理のあるところで水田
潅漑が難しい丘陵地では畑作りが進められた

水田の耕作が拡がると 野津幌川と小野幌川の水量では
農業用水の必要量を確保することが難しくなってきた

掘り井戸、溜め池、手押しポンプい゛の水の汲み上げでも
不足分の補っていましたが、これでも役に立たなくなってきた。

両方の川は融雪期を除いては水量の少ない川でした。
開墾し水田を作っても水不足で収穫がなく
開墾した土地を放棄する人達もいた。

こんなことで
昭和2年
白石村議会議員の樋口重蔵たちが恒久的な溜め池として
工事に着手した。

昭和3年
これが現在の瑞穂池が完成した。

昭和30年
大決壊を起こし、記念碑などが流失した。

昭和32年
修復に膨大な費用がかかるため、意見の対立などがあったが
この年に再建された。

小野幌地区が自然豊かな恵まれた新興住宅地と注目されるまでは
この地区の水田地帯を支えてきました。
inserted by FC2 system